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これ知ってたら美術通。 ミケランジェロの傑作「ピエタ」はいくつある?

イタリアの彫刻家・画家・建築家など多才なアーティスト ミケランジェロの傑作。ダビデ像以外にも有名な作品、ピエタ。
さてピエタという作品は、いくつ製作されたかご存知でしょうか?
今回はミケランジェロの「ピエタ」の数々と、エピソードも織り交ぜてご紹介します。

イタリアの彫刻家・画家・建築家など多才なアーティスト ミケランジェロの傑作。ダビデ像以外にも有名な作品、ピエタ。
さてピエタという作品は、いくつ製作されたかご存知でしょうか?
今回はミケランジェロの「ピエタ」の数々と、エピソードも織り交ぜてご紹介します。

1・サンピエトロ大聖堂 ピエタ像

サンピエトロ大聖堂 ピエタ像


ルネサンス美術の顔といってもよいバチカンの「ピエタ」。
この作品が完成したとき、ミケランジェロは若干24才。材料となる大理石の選定も自ら大理石の産地に赴き行い、2年をかけて完成しています。
「ピエタ」はその見事なできばえのため、
「真の作者がミケランジェロなんて、駆け出しの彫刻家のはずがない」
という噂が流れました。

これを聞いたミケランジェロは激怒し、夜中に「ピエタ」の聖母のたすきに自らの名前を彫り込みました。
さすがに頭に血が上っていたミケランジェロ、自分の名前の綴りのひとつを彫り忘れてしまいました。
「ミケランジェロ ( MICHELANGELO ) 」の二つ目のEは、Gの中に小さくあとからつけ加えられています。
「ピエタ」の聖母マリアは、十代の少女のように初々しく、これも当時から論争の的でした。6才で実母を失ったミケランジェロにとって、母性とは永遠に若いイメージのまま残っていたのかもしれません。

2・生涯愛した女性に贈った絵画「ピエタ」

イメージ画像


ミケランジェロが生涯にたった一人愛した女性と言われているのが、ローマ名門貴族の娘ヴィットリア・コロンナ。
内向的で思索的であったミケランジェロの愛とは、プラトニックで精神性の高いものだったようです。
ミケランジェロは、自ら美しい「ピエタ」を絵画として描きヴィットリアに贈っています。ヴィットリアもこの作品を愛し、とくに「イエスの右隣に描かれた天使が美しい」とミケランジェロへの手紙に書いています。
残念なことに、この作品は現在まで残っていません。
かろうじて、作品制作のために描いたスケッチがボストンの美術館に所蔵されています。

3・バンディーニのピエタ


晩年のミケランジェロは、注文を受けて制作するのではなく、自らの意志によって鑿を持ち作業をしていたそうです。
1547年、ミケランジェロの最愛の女性ヴィットリア・コロンナが死去。
寂寥の思いの72才のミケランジェロが、自らの墓に設置するために掘り始めたのが「バンディーニのピエタ」。
彼は、この作品を7年かけて掘り続けます。

老年を迎えていたミケランジェロには、この大理石は素材として非常に硬く、体力的にも苦労をしたのだとか。
ピエタの後方に掘られたのは、聖書に登場する人物「ニコデモ」。
これは、ミケランジェロ自身の姿であると伝えられています。
1555年ミケランジェロはこの作品が気に入らず、破壊しようとしましたが、幸いそのままの形で残りました。

4・パレストリーナのピエタ

ミケランジェロが残した数々の「ピエタ」のなかで、古文書の記録が残らない唯一の「ピエタ」が「パレストリーナのピエタ」です。
80才のミケランジェロが、古代の遺跡から採掘された壊れた彫刻を素材に彫った作品。

5・ロンダニーニのピエタ

ミケランジェロの生涯で最後の作品として名高いのが、「ロンダニーニのピエタ」。
死の数日前まで、ミケランジェロはこの作品を彫っていました。
1552年からこのピエタの制作を始めていますが、ミケランジェロは納得できないまま制作は中止。ふたたび1554年から死の年の1564年まで掘り続けていたのが、現在ミラノに残る「ロンダニーニのピエタ」。
「未完」と伝えられるものの、学者によってはこの姿によってミケランジェロ自身は「完成」と見なしていたのではという説もあり。

みなさんいくつご存知でしたか?
ミケランジェロのピエタを通して、現存していないものもありますが作品1つ1つにエピソードがあります。
ダビデ像や最後の審判以外のミケランジェロの傑作をぜひ楽しんでください。

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