日本にあった幻の「ひまわり」 失われた作品の切ないお話
ゴッホの傑作「ひまわり」。日本でもバブル時代に購入された「ひまわり」を、損保ジャパン東郷青児美術館で見ることができます。
戦前の日本に、「ひまわり」の作品が存在していたことは、あまり知られていません。今回はひっそりと花を閉じた幻の作品「ひまわり」についてご紹介します。
ゴッホの傑作「ひまわり」。日本でもバブル時代に購入された「ひまわり」を、損保ジャパン東郷青児美術館で見ることができます。
「ひまわり」は、全部で7点描かれていて、現存するのは6点。
残りの失われた1点は、大正時代、日本人が購入した作品です。ここではこの幻の「ひまわり」についてご紹介します。
ゴッホの作品を守った義妹ヨハンナ
ゴッホは生存中、売れない画家として不遇のままこの世を去ります。ゴッホの死後、弟のテオは、相続したゴッホのほぼ全ての作品を不要なものだとして廃棄しようとしたのですが、妻ヨハンナがそれを阻止します。
そして、後を追うようにテオも亡くなると、若き未亡人となった妻ヨハンナが、ゴッホの作品を相続。当時はまったく価値のなった作品を、彼女は兄弟の書簡集を発刊したり、回顧展を開催することによって、ゴッホの知名度の向上に成功します。
残されたテオとの1人息子のために、奔放した才女ヨハンナのおかげで、ゴッホの絵は世界で最も人気のある絵画として評価が確立したのです。もし彼女の存在がなければ、ゴッホの作品はすべて幻になっていたところです。
アルル時代に製作した7点の「ひまわり」
ゴッホの作品の中でも、特に人気のあるのが「花瓶にさされたひまわりの花をモチーフとした油彩の絵画」である「ひまわり」。
ひまわりの花の本数はそれぞれ異なりますが、南仏のアルルに滞在している時期、全部で7点制作されました。
印象派絵画の市場を激変させた日本マネー
1987年に安田保険海上火災が、53,900,000ドル、当時のレートで58億円という記録的な価格で「ひまわり」を購入し、世界中の話題となりました。
5番目に作成されたとされるこの作品は、全体が黄色の濃淡で花瓶にさされた15本のひまわりが描かれています。
大正時代にすでに来日していた「ひまわり」
バブル時代を象徴する絵画の超高額取引をめぐって、日本中で話題になりましたが、実はすでに大正時代に「ひまわり」を購入していた日本人がいました。
1888年ごろ2番目に描かれた作品は、ロイヤルブルーを背景に5本のひまわりが描かれていて、他の作品とは違う特徴的な「ひまわり」です。
1919年に関西の実業家山本顧彌太氏が、7万フラン、当時のレートで2億円で日本へ運んできました。
明治時代の末ころから、日本でも武者小路実篤らの白樺派が西洋美術を紹介し、美術館の設立を目指していました。そこで白樺派を支援していた山本氏が購入したのですが、結局美術館は実現しませんでした。
戦争で「ひまわり」が灰に…
第二次世界大戦中、山本氏は「ひまわり」を大阪の銀行へ預けようとしましたが、湿度などで作品が劣化するという理由で拒否されます。
結局、山本氏の芦屋の自宅にあった「ひまわり」は、広島原爆の同日に芦屋の大空襲によって灰と消えてしまいました。
原寸大の陶板の姿で再現
実は、この幻の芦屋の「ひまわりは」、現在、徳島県の大塚美術館で見ることができます。
世界中の名画を陶板に焼き付けて再現している同美術館が、失われた名画を再現させることに成功したのです。
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