ノーマン・ロックウェルと並び、ニューヨークで成功した画家国吉康雄の代表作とは?
日本でも愛される「可愛らしい子供」を描いたイラストが人気のノーマン・ロックウェルと並ぶ、アメリカで愛された画家がいることをご存知でしょうか?
1900年代前半にアメリカで活躍した 国吉康雄。
若くしてアメリカに単身飛び込んだ画家の初期の代表作「果物を盗む少年」をご紹介します。
日本でも愛される「可愛らしい子供」を描いたイラストが人気のノーマン・ロックウェルと並ぶ、アメリカで愛された画家がいることをご存知でしょうか?
1900年代前半にアメリカで活躍した 国吉康雄。
若くしてアメリカに単身飛び込んだ画家の初期の代表作「果物を盗む少年」をご紹介します。
単身アメリカに飛び込んだ、無謀な少年だった国吉康雄
引用元:wikipedia
国吉康雄は1889年(明治22年)、岡山で生まれました。父は人力車の車夫と、地方に住むごく平凡な子供だったのです。
ところが高等小学校を終えたあと、突然17歳で単身アメリカに渡ります。
のちに「とにかく行きたかった、でも甘く見ていた」と語っていたそうですが、たしかにあまりにも無謀でした。アメリカにつても何もなく、未成年がただ飛び込んでいったのですから。
ひたすら画家を目指し、完全にアメリカ人の中に飛び込む
国吉は最初、日系移民が集まる西海岸に上陸し、そこで四年間鉄道工夫や、ホテルのボーイなど、ひたすら過酷な労働をする日々を送りました。
そして1910年、21歳の時に、画家を目指すべく東海岸に移住することを決意。それは、曲がりなりにも日本人を守ってくれる日系移民のコミュニティから離れ、アメリカ人の中に飛び込むことをも意味する、大きな決断でした。
極貧の下積みに耐え、つかみ取ったアメリカでの名声
ニューヨークに移った国吉は、相変わらず下積みの労働をしながら美術学校に通います。そして1916年、アート・スチューデンツ・リーグという有名な美術学校に入学、そこで恩師や級友に恵まれ、ようやく画家への道が開けてゆくのです。
当時のアメリカ美術界はまだ保守的なリアリズム絵画の時代。そこに、ヨーロッパから最新前衛芸術が持ち込まれはじめ、新しい美術の波が押し寄せている時代でした。
初期の代表作「果物を盗む少年」はなぜ名声を得たのか?
Yasuo Kuniyoshi :Boy Stealing Fruit 1923[/caption]
初期国吉の代表作と言われる「果物を盗む少年」。ほぼ茶色とマホガニーで出来ています。どこにも派手な色はないのに、画面はけっして暗くなく、底からかすかな光を放っているようですらあります。この中間色の使い方の巧みさが、国吉康雄がアメリカで名声を博すための最大の武器でした。
明るいノーマン・ロックウェルの作品と国吉の大きな違い
眼を大きく見開いて果物を盗もうとしている子供。彼には罪悪感はまったくありません。
国吉は他にも、いろいろなものを盗もうとする子供をこの時期描いています。空はいつもどんよりと薄曇りで、建物はみな茶色の濃淡でできています。それが、国吉が見た庶民的なアメリカの姿でした。ノーマン・ロックウェルが描いたような笑顔のアメリカではない、濃い哀愁に包まれたリアルなアメリカ。それを描いたことも、国吉の画家としての成功の一因だったのです。
アメリカで成功をつかむが、日本での予想外の反響
1930年代には一流の画家となった国吉ですが、日本ではほとんど知られていませんでした。
1931年、老いた父を見舞うため数十年ぶりに帰郷し、個展も開きましたがほとんど反響はなく、居心地は非常に悪かったそうです。しばらくして両親ともに亡くなり、もはや国吉を日本につなぎとめるものは、何もなくなりました。
ニューヨークに戻った国吉は、完全にアメリカ人として生きていくことを決意したのです。
しかし、どんなに長く生活しようと、当時のアメリカでは日本人がアメリカ国籍を取ることは不可能でした。
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