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ゴッホやマネの作品に描かれた浮世絵たち ジャポニズムと印象派

19世紀中頃から第一次世界大戦が始まるまでの約60年間。ヨーロッパでは日本の芸術や文化が珍重され、アーティストたちに大きな影響を与えました。
いわゆるジャポニズムです。今回はジャポニズムの影響を強く受けた印象派の画家たちと、浮世絵の関わりについて紹介します。

19世紀中頃から第一次世界大戦が始まるまでの約60年間。ヨーロッパでは日本の芸術や文化が珍重され、アーティストたちに大きな影響を与えました。
いわゆるジャポニズムです。今回はジャポニズムの影響を強く受けた印象派の画家たちと、浮世絵の関わりについて紹介します。

■ジャポニズムの始まりはパリ万博

19世紀のヨーロッパでは、万国博覧会は押しも押されもせぬ大イベントでした。交易や外交でかき集めた世界中の珍しいものを、一箇所に集めて大々的に観覧してもらうという、当時のヨーロッパならではの催しだったからです。
1867年(日本では幕末の動乱のまっただなか、坂本龍馬が暗殺された年です)のパリ万博に、日本の幕府や藩がはじめて参加しました。当時日本に来ていた欧米の外交官たちがプロデュースした日本の文化展示は、ヨーロッパに長く続く熱狂的な日本ブームを巻き起こすことになります。

■浮世絵が版画だったから近代絵画が生まれた、のかも

ジャポニズムの中心になったのは浮世絵でした。

なぜかというと、浮世絵は版画で何枚も刷れるため、海外にも持ち出しやすく、またお値段も安めだったからです。けっしてお金持ちとはいえない若い芸術家たち……モネやセザンヌやゴッホたちも、浮世絵なら買えてコレクションできたのです。

浮世絵が印象派に与えた影響の大きさを考えれば、浮世絵が手に入りやすい版画だったからこそ、ヨーロッパの近代絵画は印象派という形で成立した、といえなくもないかもしれません。

■「印象派の父」マネは浮世絵コレクションでも先駆者だった

印象派の先輩格として革命的な仕事をしたエドゥアール・マネは、パリ万博以前から日本の芸術に影響を受けていました。1866年の「笛を吹く少年」には、早くも浮世絵の影響が色濃く出ている、といわれます。が、その新しい絵画観はフランス画壇では相手にされず、いまでは名作と名高い「笛を吹く少年」も酷評されました。
このとき唯一、浮世絵の影響をよく消化していると正しい評価をしてくれたのが、小説家のエミール・ゾラでした(ゾラはセザンヌの大親友でもありました)。マネは深く感謝し、パリ万博の翌年にゾラの肖像画を描きます。そこには、マネがパリ万博で手に入れたと思われる、力士を描いた浮世絵が描きこまれていました。
マネはこのゾラの肖像画の中で、絵画の新しい道は浮世絵とともにあるのだ、と控えめながらはっきりと宣言しているのです。

ちなみにこの絵の中の浮世絵は、長いこと誰が描いた何の絵かわからなかったのですが、近年熱心な研究によって、二代目歌川国明「大鳴門灘右ヱ門」であると判明しました。

■過剰なまでのゴッホの浮世絵ラブ

フィンセント・ファン・ゴッホ「タンギー爺さん」Vincent van Gogh [Public domain], via Wikimedia Commons

浮世絵を愛し倒した印象派の画家といえばゴッホです。有名な「タンギー爺さん」の背景には、何枚もの浮世絵が所狭しと描かれています。画中にある絵は全て元絵が判明していて、歌川広重の風景画が2枚、歌川豊国と渓斉英泉の美人絵が1枚ずつ描かれていることがわかっています。
この絵1枚からも、ゴッホがいかに浮世絵を愛したか、貧しい暮らしの中でどれだけ熱心に浮世絵を集めていたかが伝わってきます。なかでもゴッホが愛したのが広重で、広重の絵を模写した作品も何枚も残っています。

■日本の芸術は「POP」だった

なぜ、若く才能のある芸術家たちが、こぞってジャポニズムにはまっていったのか。

答えは、日本のアートが、当時のヨーロッパ人にとってたまらなくポップでモダンだったからだろうと思います。

遠近法にこだわらないフラットな構成と明るい色、大胆にデフォルメされた人物たち。おそらく当時のヨーロッパ人にとっては、日本は何事にもこだわらない自由で明るいパラダイスというイメージだったのではないでしょうか。それはただの幻想だったのかもしれませんが、結果として、当時のヨーロッパ文化に新しい道を指し示すものになっていったのでした。

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