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若い公爵夫妻とティツィアーノ作「ウルビーノのヴィーナス」にまつわるお話 

日本で開催された日伊国交樹立150周年を記念した「ティツィアーノとヴェネツィア派展」。
この展覧会で流麗なティツィアーノの作品を見て、ファンになったかたも多いのではないでしょうか。
先日の展覧会では残念ながら来日しなかった、彼の名作「ウルビーノのヴィーナス」についてご紹介します。

日本で開催された日伊国交樹立150周年を記念した「ティツィアーノとヴェネツィア派展」
この展覧会で流麗なティツィアーノの作品を見て、ファンになったかたも多いのではないでしょうか。
「ダナエ」という裸婦像が展示され、女性のしどけないポーズが色っぽく、当時の画家たちが「神話をテーマに描く」というのを理由に世俗の女性のヌードを描いていたことがわかります。それでも、下品にならないのがさすがにティツィアーノですが…。
先日の展覧会では残念ながら来日しなかった、彼の名作「ウルビーノのヴィーナス」についてご紹介します。

ヴェネツィアの商売魂も持った画家 ティツィアーノ

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ


ヴェネツィアは、当時のヨーロッパでは並ぶものなき商業国でした。耕地を持たないヴェネツィアでは、商業は国の命綱であり、ティツィアーノの時代にはヴェネツィアの栄華は他国の垂涎の的でもあったのです。
画家としてはヴェネツィア派の第一人者であるティツィアーノは、彼個人の作品の高名にとどまらず、大きな工房を抱える企業主としても大成功を収めた人でした。ヨーロッパの貴顕たちからの注文を受けるだけではなく、卓越したセンスでティツィアーノのほうから富裕層に売り込むことも多々あったそうです。副業として、木材の売買も行っていたという記録もあります。あらゆる意味で、最盛期のヴェネツィアを体現した画家であったのがティツィアーノなのです。

ウルビーノ公爵が執着した「ヴィーナス」像

1538年、ウルビーノ公爵グイドバルド・デッラ・ローヴェレの依頼でティツィアーノが描いたのが「ウルビーノのヴィーナス」と呼ばれる作品でした。当時の文書には「女性の裸体像」というタイトルがついています。若い公爵は作品を見る前から「裸体像」であるこの作品に固執し、支払い金額が自力では調達できないことに苛立ち、母親に「なんとかしてくれ」と泣きついた記録まで残ります。
しかし、敬虔な母親は、息子が大枚をはたいて「女性のヌード像」を買うことに得心せず、資金援助はしませんでした。そのため、この作品は長らくティツィアーノの工房の倉庫に保管されることになります。ウルビーノ公爵は、たびたび「あの作品はまだ誰にも売っていないか」を確認していたようです。
数ヶ月後、ようやく資金調達ができた公爵は作品をウルビーノに引き取りました。

幼妻の教育のために購入した?「ヴィーナス像」

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『ウルビーノのヴィーナス』(1538年頃)


当時24才であったウルビーノ公爵の妻は、ヴァラーノの爵位を持つジュリア・ダ・ヴァラーノというお姫様で、公爵よりも10才近く年下の幼妻でした。ある説によると、ティツィアーノの「ヴィーナス像」は、このお姫様のための性教育のために注文されたのだそうです。
描かれたヴィーナスは、柔らかな体の線を隠しもせず、挑発するような目線をこちらに送っています。しかし、左手の小指には「結婚」を意図する指輪がはめられ、イヤリングも「純潔」のシンボルである真珠を身につけており、足下には「誠実」を象徴する子犬が眠っている、などなどのアレゴリーからも、妻ジュリアのための作品であった可能性は高いと言われています。
作品の後方では、二人の侍女が横たわる女性に着せる衣服を長持ちから選んでいるのが見えます。
ティツィアーノは、24才で早死にしてしまう公妃ジュリアの肖像画も残しています。お姫様育ちらしい引っ込み思案の人柄が、その作品から見ることができます。

もう一人のヴェネツィア派の大家ジョルジオーネの「ヴィーナス像」

ティツィアーノより10才ほど年上の画家に、ジョルジオーネがいます。長命のティツィアーノと違いジョルジオーネは30代で夭折してしまいますが、二人はその才能を相競うよき友でした。そのジョルジオーネも、ティツィアーノのヴィーナスと同じポーズの「ヴィーナス像」を残しています。しかし、ジョルジオーネのヴィーナスは、目を閉じており全体の色彩も世俗らしさを省いた「女神」らしい作品になっているのです。
一方、蠱惑的なティツィアーノの「ヴィーナス」は、後世もさまざまな画家たちを刺激し続けました。ナポレオンお抱え画家ドミニク・アングルが模写を残したり、エドゥアード・モネの作品『オリンピア』にインスピレーションを与えたりしています。

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