美術の教科書で有名な印象派の父「マネ」、日本と意外な接点とは?
マネという画家をご存知でしょうか?
マネは19世紀のフランス画家。独特な色づかいとタッチで印象派の父とも称されます。
日本と意外な接点がある画家だったことを、作品を通してご紹介します。
マネという画家をご存知でしょうか?
マネは19世紀のフランス画家。独特な色づかいとタッチで印象派の父とも称されます。
印象派には他にもモネやルノワールなど数々の巨匠がいる中で、マネは中心的存在として位置付けられています。
マネはその卓越した技量から、今なお多くの画家たちから尊敬の眼差しを受けています。
そしてマネは浮世絵を愛した画家としても知られています。
日本と意外な接点がある画家だったことを、作品を通してご紹介します。
マネが作品に取り入れたジャポニズムとは
マネは日本のある伝統芸術の手法を取り入れた画家として知られています。
ある伝統芸術とは浮世絵です。
マネは浮世絵から構図のヒントや色彩感覚等を学んだと言われています。
因みに、これはモネなどの他の印象派画家についても言えます。
マネの中心をずらした構図というのは、実はそれ以前のフランス絵画にはあまり観られなかった傾向なのです。
マネは浮世絵を独自に収集していたことで知られます。
実は当時、日本の芸術作品はヨーロッパの著名な画家の間で話題になっていました。
このようなヨーロッパで見られた日本趣味のことをジャポニズムと言います。
マネと浮世絵。この意外な接点は日本人としても嬉しいことですよね。
マネ晩年の傑作とは?
日本と意外な接点があるマネですが、そんな彼の有名な作品を紹介しましょう。
この作品はマネの晩年の作品として有名な「フォーリー・ベルジュールのバー」です。
写実主義絵画の傑作として後世に伝わっています。
この絵画は、当時庶民の社交場となっていたフォーリー・ベルジュールのバーの様子を写実的に表現したものです。
作品からはマネの技量を思う存分堪能することができます。
まるで1つの情景をそのまま切り特価のような写実表現。
黒を基準にした豊かな色彩美。
まさにマネの晩年の作品にふさわしい完成度です。
「フォーリー・ベルジュールのバー」では黒を重要な色として使っています。
実は、当時の印象派では黒は使わないという鉄則があったのです。
マネは印象派で珍しい黒を基準に描いた画家なのです。
マネはベラスケスから多大な影響を受けたとも言われます。
ベラスケスもまた、黒の使い方がうまい画家だったのです。
エキゾチックな日本を愛するマネの人生
日本と縁があり、「フォーリー・ベルジュールのバー」という傑作を生み出したマネはどんな人生を歩んだのでしょうか?
彼は1859年27歳の時にサロンに初めて自身の作品を出品しました。
結果は落選でしたが、当時の審査員であったドラクロワには高く評価され、以後着実に画家としてのキャリアを歩むことになります。
マネは度々「スキャンダラスな画家」としても取り上げられます。
特にマネの名作「草上の昼食」や「オランピア」がサロンに出品された時は大きな物議をかもしました。
(「オランピア」に関連する記事 → )
マネは1882年、最後の傑作「フォーリー・ベルジュールのバー」を描き上げその生涯を終えました。
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